すらんばーの、のうみそ

劇団すらんばーの中の人のひとりごとです。

「これにて閉幕。」

劇団すらんばー第五回公演

「これにて閉幕。」

 

フライヤーや当時のあらすじはHPをぜひ。

PAST PERFORMANCES | gekidan-slumber

 

記念すべき第五回公演。

ちょっと節目ということで、いろいろと思い入れが深いです。

 

ネタバレを含みますが…

 

 

 

 

劇団すらんばー、最大のバッドエンド。でした。

第五回公演で、劇団が解散する話をやるという、勇気。

この作品を見返すたびに、今この劇団が仲良く続けていられる事実に感謝しています。

 

劇団員が、それぞれの理由で1人ずついなくなっていって、

最後は団長1人きりになって、

言葉にならない悔しさを叫ぶ。という構想は、

実は私が初めて外部で打った公演、

「君へのラブフォーユーをメロディと呼ぼう」の頃からあったものでした。

 

「君へのラブフォーユーをメロディと呼ぼう」を創る際に、

バンドの話をやると、どうしても男性キャストが1人足りなくて、

一旦今いるメンバーで別の話を書くとしたら?で考えていたのがこの話でした。

結局キャラクターの性別を女に書き直してバンドの話をやることになったので、

温め続けていた構想を、記念すべき第五回で大爆発させた感じです。

 

当時、最大人数の8人で行った公演。

ずっと、「人多っ」って思ってました。

第二回公演の時、4人だったのに。

私の芝居を見て、やりたいって思ってくれる人がこんなにいてくれるんだなあって、

すごく嬉しかったことを覚えています。

 

劇の構成として、

まさかのカーテンコールから始まるという暴挙。

初回公演では、キャスト全員が出てきて、並んで、礼をした時に

純粋にお客様が役者挨拶だと思ってくれたのか、拍手をいただいてしまいました。

騙すようなことをしてすみませんでした。

 

余談ですが、

私は、カーテンコールの練習をせず、その場任せでぐだぐだやる劇団にはなりたくないと思ってます。

カーテンコールは、劇場に足を運んで、時間を買ってくださった大切なお客様に対して、

本編とは別にお礼を伝えられる一番大切な時間だと思っているので、

それをなんの段取りも無しにぐだぐだやって、

「え?次誰喋る?」「あと何言えばいいんだっけ?」とかやられても、

お客様からしたら「私たちは今何を見せられているの?」って感じるだけで、

どれだけ本編が良くても、冷めちゃうきっかけになってしまうと思うんです。

劇が終わった開放感や達成感は、完全にお客様がハケて、団員だけになってからにして!

って、思ってしまう派なんです。

家に帰るまでが遠足のように、お客様が帰るまでが公演です。

 

という思いをもとに、

そして作品内の劇団、「劇団555(ファイズ)」は、

なるべく私たち劇団すらんばーとは正反対にしたくて、

最初のシーンのカーテンコールも、できるだけぐっだぐだにしました。

 

グダグダな台詞って、逆に書くのが難しいなあと思ったり。

キャラクターが自由に適当に喋っているのも書くのが楽しいなあと思ったり。

 

音響の明日香の「完パケでーす」という言葉から、

劇場を片付ける流れをオープニングに。

お客様が普段知り得ない、劇団の裏側をお見せするのが、結構楽しかったです。

 

そして、劇団すらんばーの今までの公演を詰め込んだダイジェストショー。

これぞ第五回記念!って感じがして、

しかもこの人数だからこそできたことだなあと実感して、

本当に今でも大好きなシーンです。

再現動画がyoutubeで見れるので、是非。

ダイジェストショー / 『これにて閉幕。』より - YouTube

 

大きな劇場で公演が打てるという朗報と、

劇団では抱えがちな、脚本が上がらない問題。

書き上がったところで、キャストの失踪。劇団内での仲違い、喧嘩、降板。

劇団外での活動での炎上。「生活」の優先。

 

きっと、こう言ってしまえば、「ありがち」な話で

劇団をやっていたら、1度や2度経験してしまうような出来事なのかもしれない。

それを一気に受けてしまった樹生は可哀想だとは思いますが、

これはありえない話では全然ないんですよね。

 

小劇団でやる演劇って、何も確約されてないんです。

趣味を仕事みたいな顔してやっているだけで、それは仕事にはなり得ない。

全員が全員、全ての労力や時間、お金を、命をかけて「仕事にするぞ」と考えない限り、

「劇団だけで食べていく」というのは途方もないことだったりする。

それが、社会人劇団ならなおさらで。

 

自分の生活があって、そのうえに演劇がある。

演劇をやるのは、自分の生活やプライベートありきなんです。

それを止める権利は、樹生にはないんです。

樹生だけは、命をかけるもかけないも、自分の匙加減で決められることだから。

 

お金なくて稽古来るのがしんどい、とか

他にやっている活動が忙しくて、稽古に来ている時間がもったいない、とか

本人たちからしたら、ちょっとした愚痴ってだけでも、

団長からしたら、俺が悪いのかな、って思ってしまうきっかけになってしまったり。

 

その分、俺が頑張らなくちゃな。完璧な公演にしなくちゃ。

逃げないように、妥協しないように、

劇団員でいられてよかったよかっただろ、って胸を張って言えるように。

有意義な時間だったって証明できるように。

今自分がやっている全ての事柄が、無駄だったなんて言われないように。

 

全部が自分の責任になるから

誰のことも責めることができないから

樹生は、本当に苦しかったと思います。

 

この作品を創る1年半くらい前、

私も本気で劇団を辞めようか、考えた時期があって。

本当は「劇団」として立ち上げるのも、ものすごく躊躇ったんです。

「劇団」として立ち上げてしまったら、責任がつきまとうから、

趣味でやってるんです、って、言いづらくなるから。

いつか、樹生みたいなことが起きた時、きっと私は演劇を嫌いになってしまうから。

 

嫌いになってしまう日が来るくらいなら、劇団になんてしなくていいんじゃないか。

劇団員なんて、固定のメンバーは作らなくていいんじゃないか。

毎回企画公演みたいに、みんなで少しずつお金出し合って、

赤字でもいいからただ好きな芝居作って、やって、楽しかったね、って。

それでいいんじゃないか。って、ずっと考えてました。

 

最後の樹生の独白は、

演劇やってる上で、私の口から絶対に言ってはいけない言葉たちでした。

何回考えたかわからない。何回、言ってしまおうと思ったかわからない。

それを全て樹生に言ってもらいました。

 

あの頃の自分へ、

諦めないでいてくれてありがとう。続けていてくれてありがとう。

やっててよかったなあ、って思える日が、ちゃんと来るよ。

この劇団が、生きる理由だって胸張って言える日が、ちゃんと来るよ。

 

樹生は、これからどうなっていくんだろうなあ。

あの輝いていた時間って

もうどう足掻いても、取り戻せないような気がしちゃうんだよなあ。

 

私たち劇団すらんばーのために、バッドエンドはあなたたちが持っていってください。

私たちがあなたたちの代わりに、命燃やして頑張っていきます。

 

劇団ファイズに関わらず、

きっと世界のどこかにあっただろう、こんなバッドエンドが。

いつか、報われるといいなあ。

 

当時、

本当に劇団すらんばーが解散してしまって、

「ああ、劇団すらんばーの名刺、無駄になってしまったなあ」と漠然と考えるという

悪夢を見ました。

夢でよかったとこれほど思ったことはありません。

 

そして、この公演直後から新型コロナウイルスの流行がありました。

この公演の時は、実は劇団すらんばー史上最大の動員数だったんです。

あのままコロナがなかったら、私たちもっと頑張れたのかな、大きくなれたのかな、って

たらればだけど。取り止めもなく考えて、悔しくなってしまう日があります。

 

そんな言い訳に頼らず、大きくなれるように

私たちは、やめることなく、消えることなく、続けていきたいと思っていますので

ぜひこれからも応援いただけるとすごくすごく嬉しいです。

 

公演の際の物販や、オンラインショップなどでも台本を販売しておりますので、

このお話が気になった方は、是非。

 

これから公演のたびに思い出していろいろ語るかとは思いますが、

今日はこの辺で。

 

おやすみなさい。