すらんばーの、のうみそ

劇団すらんばーの中の人のひとりごとです。

「HATE」

劇団すらんばー第四回公演

「HATE」

 

フライヤーや当時のあらすじはHPをぜひ。

PAST PERFORMANCES | gekidan-slumber

 

 

この公演は、個人的には

劇団すらんばーのターニングポイントといっても過言ではないなあと思える作品です。

 

第三回公演までの公演は、

どちらかといえば「リアルな空気感」を追求しており、

観客からしたら長すぎるような沈黙だったり、

静かな声のトーンだったり、

全体的に静かなお芝居を作ることが多かったのですが。

 

第三回を見にきてくださった方に、

もうすこしエンターテインメントに寄ってもいいのでは?と助言をいただき、

リアルな空気感と、お客様が楽しんでみれる空気感の、

中間を目指してみよう、と考えながら作った作品でした。

 

見てる間に、ちょっと息が抜けるようなシーンだったり、

空気がどんよりしすぎないような台詞まわしだったり、

動きを多くつけたり、映像を増やしたり。

今の劇団すらんばーの形になる第一歩だったなあと感じています。

 

話の内容としては、

中学時代のいわゆるいつメン、「ゴミ溜め」が

1人の結婚を機に久しぶりに集まって、昔みたいに話しながら、飲んで。

そんな中1人が突然自殺宣言をする。

1週間後に迫った彼の自殺を止めることができるのか?といったものでした。

 

「ゴミ溜め」も、出てくるキャラクターも

基本的にはふくしまの中学時代がモデルになっています。

(実際にライングループの名前が「ゴミ溜め」でした。)

 

なんとなくずっと、

私たちの中学時代を芝居にしたいなあとは漠然と思っていて。

青春なんて一言で表せるほど素直な時間じゃなかったけど、

でも私にとって本当に大切で、大好きで、捨てられない思い出だったので、

芝居にして大事に大事に、とっておきたいなあという気持ちが強かったのかもしれません。

 

もちろん自殺宣言をされたことはありませんが、

なんとなくキャラクターの外側だったり、関係性だったりをモデルにしています。

 

モデルとキャラクターの話をすると…

 

秋斗は当時付き合っていた人、

ひなこは私、

千尋は中1で同じクラスになってからずっと仲の良い友人、

祐一郎はゴミ溜めメンツのうちの3人の男子ぐるぐる混ぜたもの、

奏は、中学時代出会って私とソリが合わなかった人の集合体、というような感じです。

 

ひなこは、当時実際にはあんなに強くも、優しくも、賢くもなかったです。

当時私が秋斗に言ってあげたかったことを言ってもらいました。

もっと守ってあげられなかったのかなあ、とか。

一緒に歩いていってあげられなかったのかなあ、とか。

今更ながら湧き上がってくる後悔って、ものすごく多くて。

せめて芝居の中では、秋斗を守ってあげられる人にしてあげたかった。

秋斗が望むことを否定せず、一緒に望んであげられる人にしてあげたくて、

あのひなこが出来上がりました。

 

秋斗は、私からみた秋斗を煮詰めて煮詰めて出てきたようなキャラクターです。

私から見た秋斗は、正義感が強くて、

間違っていることは間違っていると声をあげないと納得がいかない、

たとえ自分に不利益があるようなことでも、

相手が間違っていることをしているなら身を挺してそれを正してあげられるような

強くて、かっこよくて、でも、人に甘えたり寄りかかったりするのが下手で、

いつかいなくなっちゃいそうな、消えてしまいそうな、儚い人でした。

奏みたいな人が現れて、

身を挺して支えてくれるような人が近くにいたら彼は幸せになれるのかなあ、とか

それを果たして、幸せと捉えてくれるのかなあ、とか。

いろいろ考えた結果の、オチシーンになりました。

 

千尋は、なんかもうそのまんまだなあと思っています。

1番一緒にバカやってくれるし、

真面目に考えてほしいことは真面目に考えてくれるし、

なんだかんだ面倒見がいいと思うし。

ひなこも、ずっとゴミ溜めを引っ張って行っているように思っていても、

その実千尋に甘えてたり、支えてもらった部分って大きいんだろうなあと思います。

奏の言うこともわかるし、ひなこが怒るのもわかるけど。

私どうすることもできなくない?みたいな。

話を聞くことはできるけど、何もできないよ。多分。何かしたって意味ないし。みたいな

いい意味でのドライな部分が、結構そのままキャラに反映できたかなと思ってます。

 

祐一郎は、「ゴミ溜め」って名前の由来、みたいな人たちを

集めてかき混ぜたら出来上がった、みたなキャラクターです。

ふざけてるし、適当な事しか言わないし、当たり前の顔して嘘つくし、

でもちゃんと人の顔色を伺って、

秋斗の前では、秋斗が「一緒にいて楽だ」と感じられる自分、でいたりできる。

ちょっとずるい。かっこいいじゃん。

千尋と祐一郎の二人だけのシーンの空気感は、すごく当時の時に近かったと

千尋モデルの友人に言われましたが、

千尋と祐一郎が二人でいるところに私がいたことがないのにそうだったと言うことは、

私のこの二人へのイメージはあながち間違っていなかったようで安心しました。

 

奏は、実モデル、みたいな人はいなくて。

当時嫌だった思い出とか、大変だったこととか、苦手だった人とか、

私が立場上できなかったこととか、言えなかった言葉とかを、

全部混ぜ合わせて、こねて、焼き上げたら出てきたキャラクターです。

この公演が終わるまで、私は奏をうざいと感じてなくて。

こんなに何のしがらみも裏もなく、

真っ直ぐに、不器用に、助けたいって思えるってすごく素敵だなあと思うんです。

好きなものに理由をつけてきた奏が、

理由なしに好きになったのが秋斗で。

死んでほしくないから、助けたい。みたいな、素直な気持ち。

奏が秋斗に告白しなかったのって、もちろん勇気がなかったのもあると思うんですが、

多分、「恋愛」だとしっくりこない感情だったんだろうなと思っていて。

好きだって伝えて、じゃあ付き合いたいのか?

手を繋いでデートをしたり、抱きしめたり、キスをしたり、そう言うことがしたいのか?

と聞かれたら、そうじゃなくて。

強くてかっこいい秋ちゃんを一番知ってるのは私なんだぞっていう証明が欲しいと言うか

一緒にいていい権利がほしかっただけと言うか。

だから、最後秋斗を止めに行って、

秋斗の背中の温もりを感じながらたわいもない会話ができたあの時間は、

奏にとっては確かに幸せだったんだろうなあと思います。

 

たとえ、窓の外から、

秋斗が起こしたテロのせいで出動したパトカーや救急車のサイレンが、

けたたましく鳴っていても。

目を瞑って、耳を塞いで、聞こえないことにしたら。

自分がやったことが、間違いだって自覚しながらこれから生きていく秋斗の心も、

一旦、見ないふりして、

秋斗がここにいてくれる限り、ここにいれたらいいなあっていう、

素直で、単純で、子供みたいな感情。

 

そんな奏を私は愛おしく思います。

 

もともと、

誰かを必死になって止めに行くんだけど、

かっこいい言葉とか説得力のある言葉なんて思いつかなくて、

結局ありふれた、月並みの、軽い言葉しか言えなくて、っていうシーンが書きたくて

作り始めた作品でしたが、

自分がやりたいことを全部詰め込めたような、

劇団すらんばーとしてやっていく上での、道標?模範解答?のようなお芝居になったので

私はこの作品がとても大好きです。

 

少し長くなってしまいました。

公演の際の物販や、オンラインショップでも台本を販売しておりますので、

気になった方は是非。

 

またゴミ溜めメンツと会ったら思い出して色々語るかもしれませんが、

今日はこの辺で。

 

おやすみなさい。