すらんばーの、のうみそ

劇団すらんばーの中の人のひとりごとです。

「夜、鉄道の奔る銀河より、」

劇団すらんばー第二回公演

「夜、鉄道の奔る銀河より、」

 

フライヤーや当時のあらすじはHPをぜひ。

PAST PERFORMANCES | gekidan-slumber

 

劇団すらんばー史上、最小人数 4人での公演です。

この時は本当に役者が少なかったんだなって今になると本当に思います。

 

私もキャストとして出演して4人でしたのでね。

4人で60分…セリフ量えぐかったと思います。みんなありがとう。

 

「掬イ救ワレ透キ好カレ」は宮沢賢治の「よだかの星」をモチーフに、

「SEEYOUAGAIN」は宮沢賢治の詩を引用しており、

今回も宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」をモチーフに書きました。

ふくしま空前の宮沢賢治ブームだった気がします。

 

双子役の二人が当時、身長体重が全く一緒で、

「双子じゃん!双子役書こ!」という流れで双子の話を書きました。

脚本家としての私の意見として、

同じ役者さんに同じような役を書きたくないこだわりがあって。

SEEYOUAGAINに次いで2回目の参加となった宙役の人は、

前回の柊役と正反対の役を描いてみたくて、

「感情がない(感情というものがわからない)」男を書いた訳です。

 

そしたら、双子の片割れである昴は感情的で、すこしちゃらんぽらんとしている男がいいかなあとか。

感情のない男が忘れられない幼馴染みの女の子の幻想を見ているというか、イマジナリーフレンドと過ごしていたらいいなあとか。

双子の男の子、幼馴染みの女の子、恋をして、感情のない男は少しずつ感情を理解していく…

という流れが、よくある少女漫画や安っぽいドラマのようになるのは嫌だなあと思いつつ、

銀河鉄道の夜を前面に押し出してしまうと、

朗読や教育用の演劇のようになってしまうような気がしていて、

バランスに結構思い悩んだ話でした。

 

銀河鉄道の夜は、その日だけ牛乳が届いていないことは「前兆」であると思っていて、

それがきっかけになって鉄道に乗ってジョバンニとカンパネルラの旅が始まるわけです。

その「前兆」は必然だなあと思っており、

今回の話では毎日変わらず行っていた夜勤の仕事がその日だけ突然休みになる、ということを前兆としていました。

 

宮沢賢治の描く文章はとにかく綺麗で小気味いいんですよね。

原文を引用したシーンは個人的にとても気に入っています。

 

家族の話を書くからこその生活感というか、

朝方起きてきて台所で水を飲む、とか

雨が降ってきて洗濯物を取り込む、とか

弟の彼女が遊びにきている、とか

そういう空気感を真面目にちゃんと作った回でした。

 

夏の話とはいえども、話のキーになってくるのは「雨」で、

雨が降るとどうしても宙が苦しい思い出を思い出してしまって、という流れで書きましたが、

この話を公演した2018年の夏はとにかく雨が多くて、そことなく感動しました。

 

昴にとっては、ただの甘酸っぱい青春の一ページだったのかなあ、と考えたり。

ずっと一緒にいる幼馴染みの女の子は、

あまり仲が良くない双子の兄のことが好きみたいで、

でも宙はああいうやつだからいつか愛想尽かしたりしないかな、

そしたら俺のこと好きになってくれないかな…みたいな。

 

雨の日に宙を待ち続けて、怪我をした明里。

絆創膏をはろうとする昴に対しての、

「怪我なんかしてないよ。転んでないもん」。

悪いことがあって、傷ついたとしても、

慰められたりするより、なかったことにしたいんですよね。

絆創膏見る度、転んでしまったこと、

宙を待ち続けたのにこなかったこと、思い出したくないんです。

 

明里はきっと、昴が自分に多少なりとも好意を向けてくれてること、知ってたんだろうなあ。

知っててなお、それでも昴に甘えてしまって。

「ごめんね、昴」

あそこで昴はちゃんと失恋したんだろうなあ。

ああ、俺じゃないんだなあ、って実感してしまったんだろうなと思います。

 

 

明里の「忘れないで忘れないで、いて、ほしいなあ」というセリフは、

わざとセリフとしての気持ち良いリズムを崩して書きました。

心地の良くないアンバランスさが欲しかったんですよね。

 

このセリフに限らず、この話は、リフレインというか同じセリフや言葉を何回も使っていて、

 宙の中で、明里との物語って最後に別れた日で終わっているから、

ずっと一緒にいた頃に言われた言葉や思い出を反芻しているだけなんだと思うんですよね。

宙がイマジナリー明里を見ているから、明里って死んだの?って思う人もいるだろうし、

もちろんその解釈は間違っていないと思って、

明里が自殺してしまっていたり、事故などで死んでしまっていて、

亡霊となって宙を縛り付けているって解釈はもちろんあると思うんです。

 

私としては、明里がたとえ生きていても死んでいても、

宙はそれを知らなかったらいいなと思っていて。

なんなら明里は普通に別の大学とかに行って、

就職して、いい人と結婚とかしててもいいなって思うんです。

でも宙は明里がどうしているか知らないから、昔を思い返すことしかできない。

ずっと自分が突き放してしまった女の子の幻想に苦しんでたらいいと思って。

きっとそれを知ったら、明里は「馬鹿だね、宙は」って笑うんだろうなあ。

 

終盤、鉄道のシーンで語りかけてくる明里は、どこまで行っても”宙の中の明里”であって、

幻想で、空想で、妄想であればいいと思います。

 

もちろん、明里がもう死んでいて、死者が乗る鉄道に宙が迷い込んで、

明里と運命の再会を果たし、感情を理解しようとするけれど、

宙は生きているから、一緒にはいられない、という解釈も正解だと思います。

 

見てくださった皆さまにとっての宙であり明里であり昴であり悠香だったらいいと思います。

あ、この役名は、なんとなく宇宙っぽい名前で統一しています。実はね。

 

演出のことを考えると、もっとできたんじゃないかって思うところがあるというか、

人数も少ないし、ずっと雨が降っている中の静かな会話シーンが多かったので、

エンターテインメントとしては確立できていなかったなあという後悔がありますが、

それも含めて、良かったと言ってくださる人がいて、私は嬉しいです。

 

劇団すらんばーの中では、一番文学に近いような劇でした。

気になった方は、公演の際の物販で台本を販売いたしますので、是非。

 

雨が降ったらまた思い出してしまうような気がするので、今回はこの辺で。

 

おやすみなさい。