すらんばーの、のうみそ

劇団すらんばーの中の人のひとりごとです。

「SEEYOUAGAIN」

劇団すらんばー旗揚げ公演

「SEEYOUAGAIN」

 

フライヤーや当時のあらすじはHPをぜひ。

PAST PERFORMANCES | gekidan-slumber

 

この劇から、ついに「劇団すらんばー」として立ち上げました。

「劇団スパゲッティズ」の主宰は、実は現在の制作君にやってもらっていて、

「煌、燦、星」の時はダブル主宰だったので、

ここでようやく単独の主宰となりました。

主宰ふくしまうい爆誕

 

そして今回から、今ではレギュラーメンバーとして活躍してくださってる役者さんが参加。

前作2作を見て、演劇をやってみたい!とか、

ういちゃんの劇にでたい!と言ってくださって、

「是非!」と参加してもらっています。

 

劇団すらんばーのスタンスはこうであろうと思ったきっかけでもあります。

固定メンバーを持たず、参加したい人が参加して、難しい人はおやすみで。

演劇経験の長さと演技力は、ある程度しか比例しないのです。

 

中学以来の演劇、だったり

人生初の演劇だったりする役者さんと一緒に作り上げた劇です。

 

この話は、初めは「売れない小説家の話を書こう」と思って書き始めました。

ただ、売れない小説家の末路ってだいたい決まってるし、

スパゲッティズの二番煎じとなってしまうのではという悩みから全然筆が進まず、

脚本作成が大分行き詰まりました。

 

1ヶ月悩んでもプロットが完成せず、

一旦いろいろ捨てて集中しよう、と好きな曲を1曲永遠リピートして、

紙のノートと、緑色のマッキーだけでつらつらとあらすじを書き連ねていたら、

1時間でプロットが完成しました。あれぞひらめきだったのかなと思います。

 

結果、「売れっ子小説家」が小説を書く理由、という話に落ち着きました。

昔懐いていた幼馴染みのお兄さんが見つけてくれるように小説家になった女の子の話。

驚くようなスピードで小説を作って、どんどんと世に打ち出していく。

ただ、小説を書けば書くほど頭痛がして、最終的には倒れてしまう。

能力を発揮するほど頭痛がする、というのは

伊坂幸太郎「魔王」から得た発想でした。

 

その頭痛が、能力を使うための代償なのか、

はたまた無理をしすぎて体調を崩していただけなのか。

それは誰にもわからないけど、

でも確かに小説家にとっては「呪い」であったんだと思うんです。

ファンタジーというのは、有り得るべき事象で、身近にあるからこそリアルだと思うんです。

 

 

小説家を一途に支える人がいたらいいな、というのは最初からあって、

ちゃんとした「恋人」という関係を書いたのはこれが初めてなような気がします。

初めは、通い妻のように世話を焼く後輩、といった案もありましたが、

話を進める上で無理が色々とあって、同棲している恋人になりました。

 

公演が3月だったということもあり、

冬が終わって、春になるようなあったかい話が書きたくて、

話自体も、「すっかり冬になった」というセリフから始まり、

ラストシーンでは「すっかり春になった」とリフレインが入っています。

 

自分としても、すごくまとまった話にできたなあと思っていて、

この話以上にまとまった話をこれから書くのはなかなか難しいんじゃないかと思うくらい。

頑張りますけどね。毎回頑張ってるんですけど。

いろんな意味ですごく綺麗な話になったなあと思っています。

 

実際ありがたいことにとても好評をいただきまして、

音響を手伝ってくれた兄が、ブースから劇を見て号泣するくらいでした。

練習で何回も見てるだろうに、本番で泣いてましたね。よく泣くなあ。

 

劇団すらんばーの照明は、煌、燦、星を除きすべて同じ人にお願いをしておりまして、

高校時代の部活の同期なのですが、本当に天才なんですよね。

私自体があまり照明に詳しくなくて、「こういうイメージにしたい」とふわっと伝えても、

150%再現してくれる。私の脳内を具現化するのに欠かせない一員です。

 

「脳内を埋めていた誰かの顔も、だんだんと溶けていって」

という梅のセリフ中に、柊が一段降りて、後ろを向いてハケていくシーンがあったのですが、

柊が捌けると同時に柊に当たっていた照明がゆっくりと消えていって、

梅役の人曰く、「本当に溶けていくようだった」と感想いただくほど、ベストタイミング。

梅役の人は本番中泣かないようにしよう、としてくれていたようなのですが、

千秋楽だけは、柊が溶けていくシーンで自然にスッと涙が出ていまして。

セリフに影響もなく、もしかしたら気付かない人は気づかないくらい、

お涙頂戴のためでもない、泣こうとして泣いたわけではない、梅としての静かな涙で。

彼女を「梅」として生かせることができたんだなあ、って思ったら

なんかすごく嬉しかったです。

 

これは私個人の演劇論ではあるんですけど、

私が演劇をやる理由は、自分じゃない誰かの人生を歩むことができるからなんです。

役者が、この劇の作り手ではなく、参加者になってくれたらいいなと思っていて。

役者たちですら話に取り込まれて、

その役の人生を歩むことができたらそれ以上のことはないと思うんです。

 

だから、劇をやる上で自然に笑顔になったり、涙が出たり、腹が立ったりしてくれてるの、

すごく嬉しいし、安心できます。私だけかもしれませんが…。

 

役者が楽しんでくれなきゃお客さん楽しませることできないなというか。

そんな偉いこと言える立場じゃないかもしれませんが、独りよがりの作品にしたくないので

私は稽古で怒らないし、叱らないし、重い空気はなるべく作らないようにしています。

稽古休んだって、遅刻したって、早退したって、セリフ飛ばしちゃったって間違えちゃったって、怒ったってしょうがないし。

稽古行きたいな、稽古楽しいな、本番終わって欲しくないなって

みんなが思ってくれるような劇団に、できてたらいいなあ。とおもう、主宰の謎の親心。

 

劇団すらんばーは本当に自由で、固定メンバーもほぼいないしオーディションもない暖かい劇団なので、役者やってみたい方は是非お声がけくださいね。

 

この劇が気になった人は、公演の際の物販で台本を販売してますので、是非。

 

また梅の花が咲く頃に思い出すかもしれませんが、今回はこの辺で。

 

おやすみなさい。